太子寺叡福寺の歴史と建造物

太子寺叡福寺の歴史と建造物

この磯長山 叡福寺は、聖徳太子と、その二ヶ月前になくなられた太子の生母穴穂部間人(あなほべはしひと)皇后と、一日前(一説には同日)に亡くなられた太子夫人膳部大郎女とを葬ってある。いわゆる三骨一廟である。

太子は二十七歳の時、この叡福寺の地を御廟の候補地とし、周囲を寺院地とされ、四十七歳の時、廟をお造りになられた。太子没後、聖武天皇の勅願により太子のお墓をお守りご追福を祈るため、神亀元年(724年)七堂伽藍が完成した。このゆえに叡福寺は、太子寺、御廟寺、聖霊院などと呼ばれる。

石段を上り、南大門を入ると左手に宝塔、金堂、聖霊殿があり、中央奥の石段をさらに上ると、松や常磐木に囲まれた太子廟がある。また、境内には浄土堂、上の御堂、念仏堂など多くの建造物があるが、何といっても、聖霊殿に心がひきつけられる。聖霊殿は、慶長八年(1603年)、後陽成天皇の勅願により、豊臣秀頼が再建したもので、御本尊は聖徳太子十六歳のときの御尊像である。

この磯長山 叡福寺は、聖徳太子と、その二ヶ月前になくなられた太子の生母穴穂部間人(あなほべはしひと)皇后と、一日前(一説には同日)に亡くなられた太子夫人膳部大郎女とを葬ってある。いわゆる三骨一廟である。

太子は二十七歳の時、この叡福寺の地を御廟の候補地とし、周囲を寺院地とされ、四十七歳の時、廟をお造りになられた。太子没後、聖武天皇の勅願により太子のお墓をお守りご追福を祈るため、神亀元年(724年)七堂伽藍が完成した。このゆえに叡福寺は、太子寺、御廟寺、聖霊院などと呼ばれる。

石段を上り、南大門を入ると左手に宝塔、金堂、聖霊殿があり、中央奥の石段をさらに上ると、松や常磐木に囲まれた太子廟がある。また、境内には浄土堂、上の御堂、念仏堂など多くの建造物があるが、何といっても、聖霊殿に心がひきつけられる。聖霊殿は、慶長八年(1603年)、後陽成天皇の勅願により、豊臣秀頼が再建したもので、御本尊は聖徳太子十六歳のときの御尊像である。

磯長山 叡福寺の情報
磯長山 叡福寺の情報
住  所
〒583-0995
大阪府南河内郡太子町太子2146
〒583-0995 大阪府南河内郡太子町太子2146
電話番号
0721-98-0019
宗  派
単立
本  尊
聖如意輪観世音菩薩
開  基
聖武天皇
創  立
神亀元年(724年)
拝 観 料
ご志納
拝観時間
午前9時より午後5時まで(受付は午後4時半まで)
御詠歌
磯長(しなが)なる み寺にいまも うまやどの みこのみたまは しずまりてます
御詠歌
磯長(しなが)なる み寺にいまも うまやどの みこのみたまは しずまりてます
電車、バスの場合
近鉄長 野線・喜志駅下車、近鉄バス喜志循環線にて聖徳太子御廟前下車すぐ(喜志-聖徳太子御廟前10分)。喜志駅よりタクシー5分。近鉄吉野線(橿原神宮方面行)上ノ太子駅下車、たいしのってこバスにて聖徳太子御廟前下車すぐ。
自動車の場合
国道170号線で喜志に至り、太子町に向って東進約10分。叡福寺無料駐車場あり、バス2台、乗用車20台駐車可(バスは有料・要事前連絡)。 駐車場は当山の敷地であるが、西方院参拝の際も利用可。
新西国霊場
Copyright © 新西国霊場. All Rights Reserved.
新西国霊場
新西国霊場は、一般の方々の意見をもとに選ばれた、
人気のある寺院で構成されている霊場です。
Copyright © 新西国霊場. All Rights Reserved.