瑠璃寺と新西国霊場巡りの終幕
瑠璃寺と新西国霊場巡りの終幕
この瑠璃寺に至ると、新西国霊場巡りも客番五ヵ所を含めて、三十八ヵ所、いよいよ最後、満願打ち止めとなる。
瑠璃寺の縁起である。僧行基が室津の港に留まっていた際、北の方角に怪光を認め、その正体を見定めようとこの山のふもとまで来たとき、一人の老人が現われ「浄瑠璃世界の教主医王なり」といって紫黄金の仏相となり、瑠璃の光を発し不思議な力をあらわしたという。その姿を刻んだのが、現在境内の観音堂にまつられている千手千眼観音であると伝えられている。行基が聖武天皇に申し上げると、天皇の勅願として、瑠璃寺が建立され、以降修験道の行場として有名となった。
瑠璃寺の本坊は昭和三十二年に再建された真新しい立派な建物である。南光坊という。本坊の門を入り右へ清流を渡り、杉の古木の茂る山を上って行くと、中腹に千手観世音をまつっている本堂、傍らに鐘楼がある。ここから下をみると、堂塔伽藍が木々の茂みと調和して、すばらしい眺めである。
この瑠璃寺に至ると、新西国霊場巡りも客番五ヵ所を含めて、三十八ヵ所、いよいよ最後、満願打ち止めとなる。
瑠璃寺の縁起である。僧行基が室津の港に留まっていた際、北の方角に怪光を認め、その正体を見定めようとこの山のふもとまで来たとき、一人の老人が現われ「浄瑠璃世界の教主医王なり」といって紫黄金の仏相となり、瑠璃の光を発し不思議な力をあらわしたという。その姿を刻んだのが、現在境内の観音堂にまつられている千手千眼観音であると伝えられている。行基が聖武天皇に申し上げると、天皇の勅願として、瑠璃寺が建立され、以降修験道の行場として有名となった。
瑠璃寺の本坊は昭和三十二年に再建された真新しい立派な建物である。南光坊という。本坊の門を入り右へ清流を渡り、杉の古木の茂る山を上って行くと、中腹に千手観世音をまつっている本堂、傍らに鐘楼がある。ここから下をみると、堂塔伽藍が木々の茂みと調和して、すばらしい眺めである。
兵庫県佐用郡南光町船越877 〒679-5227 兵庫県佐用郡南光町船越877
ひとすじの たのむ心を 瑠璃寺の 露のひかりに むすびとめつつ
ひとすじの たのむ心を 瑠璃寺の 露のひかりに むすびとめつつ