斑鳩寺の歴史と貴重な宝物
斑鳩寺の歴史と貴重な宝物
斑鳩寺は、推古天皇十四年(606年)聖徳太子が天皇のために勝鬘経を講讃すると、天皇は大いに喜ばれ播磨国の水田百町を太子に賜った。太子は大和国斑鳩宮よりこの地に足を運ばれ、斑鳩荘と名づけられて伽藍を営まれた。それがこの斑鳩寺である。
斑鳩寺の仁王門を入ると正面に講堂、左側に聖徳殿、右側に三重塔がある。聖徳殿の御本尊は「植髪の太子」といって聖徳太子自作の像に自らの髪を切って植えられたものであり、一般に「御孝養の御姿」という。
講堂の御本尊は釈迦如来、薬師如来、如意輪観音の丈六坐像(重要文化財)で止利仏師一刀三礼の作と伝えられている。これらは秘仏で、毎年二月二十二~二十三日に御開帳される。三重塔は赤松政秀の再建になるもので、輪柱には太子伝来の仏舎利が納められている。
また斑鳩寺には、勝鬘経講讃図、弘法大師の筆による紺紙金泥釈迦三尊、行基作の日光月光菩薩像など、数々の重要文化財、宝物がある。
斑鳩寺は、推古天皇十四年(606年)聖徳太子が天皇のために勝鬘経を講讃すると、天皇は大いに喜ばれ播磨国の水田百町を太子に賜った。太子は大和国斑鳩宮よりこの地に足を運ばれ、斑鳩荘と名づけられて伽藍を営まれた。それがこの斑鳩寺である。
斑鳩寺の仁王門を入ると正面に講堂、左側に聖徳殿、右側に三重塔がある。聖徳殿の御本尊は「植髪の太子」といって聖徳太子自作の像に自らの髪を切って植えられたものであり、一般に「御孝養の御姿」という。
講堂の御本尊は釈迦如来、薬師如来、如意輪観音の丈六坐像(重要文化財)で止利仏師一刀三礼の作と伝えられている。これらは秘仏で、毎年二月二十二~二十三日に御開帳される。三重塔は赤松政秀の再建になるもので、輪柱には太子伝来の仏舎利が納められている。
また斑鳩寺には、勝鬘経講讃図、弘法大師の筆による紺紙金泥釈迦三尊、行基作の日光月光菩薩像など、数々の重要文化財、宝物がある。
兵庫県揖保郡太子町鵤709 〒671-1561 兵庫県揖保郡太子町鵤709