霊地からの啓示 金剛城寺の歴史と信仰の旅
霊地からの啓示
金剛城寺の歴史と信仰の旅
金剛城寺は、推古天皇の時代、聖徳太子がこの地に来られ、霊厳の地であるからとのことで恵灌法師をして寺を建てさせ、国家安泰、庶民福利の祈願所とされたのが、その始まりである。高麗の人恵灌法師は、日本三論宗の開祖となられた人で、金剛城寺の堂塔伽藍が完成すると、法道仙人を招き開山式を催された。その後、弘法大師が来山、護摩秘法を伝えてより、金剛城寺は、真言宗の宗旨を奉ずるようになり、現在に至っている。
金剛城寺は火難が多く、幸いにしてご本尊は無事であったが、寺運は盛衰を繰り返した。七種山の中腹から現在のところへ移転したのは明治の初めで、一時作門寺と称したこともあったが、昭和三年に金剛城寺に戻っている。
金剛城寺は、門を入ると正面に九間四面の広壮な本堂、左に古めかしい阿弥陀堂、本堂の後ろを右方へ上ったところに護摩堂がある。本堂には、御本尊である十一面観世音菩薩が安置されている。
金剛城寺は、推古天皇の時代、聖徳太子がこの地に来られ、霊厳の地であるからとのことで恵灌法師をして寺を建てさせ、国家安泰、庶民福利の祈願所とされたのが、その始まりである。高麗の人恵灌法師は、日本三論宗の開祖となられた人で、金剛城寺の堂塔伽藍が完成すると、法道仙人を招き開山式を催された。その後、弘法大師が来山、護摩秘法を伝えてより、金剛城寺は、真言宗の宗旨を奉ずるようになり、現在に至っている。
金剛城寺は火難が多く、幸いにしてご本尊は無事であったが、寺運は盛衰を繰り返した。七種山の中腹から現在のところへ移転したのは明治の初めで、一時作門寺と称したこともあったが、昭和三年に金剛城寺に戻っている。
金剛城寺は、門を入ると正面に九間四面の広壮な本堂、左に古めかしい阿弥陀堂、本堂の後ろを右方へ上ったところに護摩堂がある。本堂には、御本尊である十一面観世音菩薩が安置されている。
兵庫県神崎郡福崎町田口236 〒679-2218 兵庫県神崎郡福崎町田口236