山伏の聖域 伽耶院の歴史と厳粛な伝統
山伏の聖域
伽耶院の歴史と厳粛な伝統
伽耶院は山伏の寺である。江戸時代には天台系山伏を統括する四院家の一つに数えられ、その伝統は今も十月スポーツの日の採燈大護摩として伝えられて、当日の境内は近畿各地から馳せ参じた山伏で埋まる。
伽耶院の縁起によると、孝徳天皇の大化元年(645年)、法道仙人が仏教布教のためこの地に訪れたとき、この谷の奥より湧出する清水の中より御本尊の毘沙門天王像を得、帝に奏上すると、その場所にお堂を建て安置せよとの勅命があり、伽藍を建立したのが、伽耶院の始まりであると言う。
伽耶院の入り口である仁王門は大正十四年に改修したもので、中には天正八年(1580年)の兵火の際に焼け残った仁王尊の残片を安置してある。仁王門を通り過ぎしばらく進むと持国天、多聞天を安置した二天門があり、石段を上がると平坦な境内で、五間五面単層造本瓦葺の本堂(重要文化財)が現われる。隣接して続く鎮守社や多宝塔も共に重要文化財である。
伽耶院の本堂には、本尊である毘沙門天が安置され、御前立の毘沙門天像は藤原末期のもので重要文化財に指定されている。脇立の不動明王は平安末期、三宝荒神は室町時代の作といわれている。本堂横の池にはヒカリモの生息が確認されており、冬期(12月中旬から2月中旬)には水面が虹色に輝く。秋の全山紅葉は壮観である。
伽耶院は山伏の寺である。江戸時代には天台系山伏を統括する四院家の一つに数えられ、その伝統は今も十月スポーツの日の採燈大護摩として伝えられて、当日の境内は近畿各地から馳せ参じた山伏で埋まる。
伽耶院の縁起によると、孝徳天皇の大化元年(645年)、法道仙人が仏教布教のためこの地に訪れたとき、この谷の奥より湧出する清水の中より御本尊の毘沙門天王像を得、帝に奏上すると、その場所にお堂を建て安置せよとの勅命があり、伽藍を建立したのが、伽耶院の始まりであると言う。
伽耶院の入り口である仁王門は大正十四年に改修したもので、中には天正八年(1580年)の兵火の際に焼け残った仁王尊の残片を安置してある。仁王門を通り過ぎしばらく進むと持国天、多聞天を安置した二天門があり、石段を上がると平坦な境内で、五間五面単層造本瓦葺の本堂(重要文化財)が現われる。隣接して続く鎮守社や多宝塔も共に重要文化財である。
伽耶院の本堂には、本尊である毘沙門天が安置され、御前立の毘沙門天像は藤原末期のもので重要文化財に指定されている。脇立の不動明王は平安末期、三宝荒神は室町時代の作といわれている。本堂横の池にはヒカリモの生息が確認されており、冬期(12月中旬から2月中旬)には水面が虹色に輝く。秋の全山紅葉は壮観である。
兵庫県三木市志染町大谷410 〒673-0513 兵庫県三木市志染町大谷410