福祥の寺、 須磨寺の歴史と再興の物語
福祥の寺、 須磨寺の歴史と再興の物語
須磨寺は、新西国霊場の萩の寺や千本釈迦堂のように通称の須磨寺で全国的に知られているが、本来の名前は「福祥寺」である。
須磨寺は、仁和2年(886年)に聞鏡上人が、光孝天皇の勅命を受けて、この地に七堂伽藍を建立し、和田岬の海中から引き上げられ北峯寺に安置されていた聖観世音の尊像を移し、まつったことに始まると伝えられている。源頼政や豊臣秀頼が中興したこともあったが、明治の初めには本堂、大師堂、仁王門のみを残すほどに荒れ果てたという。
現在の須磨寺は、朱塗りの竜華橋を渡ると、運慶、湛慶の作といわれる金剛力士像を安置した源頼政再建の仁王門がある。さらに参道の石段を上ったところが唐門、その奥に須磨寺の本堂がある。これは慶長七年(1602年)豊臣秀頼の再建によるもので、御本尊の聖観音は、毘沙門天、不動明王と共に、ここにおまつりされている。
本堂の左手には弘法大師をまつる大師堂があり、一般に「須磨のお大師さん」として親しまれ、縁日の毎月二十日、二十一日には大勢の参詣人で賑わっている。
須磨寺は、新西国霊場の萩の寺や千本釈迦堂のように通称の須磨寺で全国的に知られているが、本来の名前は「福祥寺」である。
須磨寺は、仁和2年(886年)に聞鏡上人が、光孝天皇の勅命を受けて、この地に七堂伽藍を建立し、和田岬の海中から引き上げられ北峯寺に安置されていた聖観世音の尊像を移し、まつったことに始まると伝えられている。源頼政や豊臣秀頼が中興したこともあったが、明治の初めには本堂、大師堂、仁王門のみを残すほどに荒れ果てたという。
現在の須磨寺は、朱塗りの竜華橋を渡ると、運慶、湛慶の作といわれる金剛力士像を安置した源頼政再建の仁王門がある。さらに参道の石段を上ったところが唐門、その奥に須磨寺の本堂がある。これは慶長七年(1602年)豊臣秀頼の再建によるもので、御本尊の聖観音は、毘沙門天、不動明王と共に、ここにおまつりされている。
本堂の左手には弘法大師をまつる大師堂があり、一般に「須磨のお大師さん」として親しまれ、縁日の毎月二十日、二十一日には大勢の参詣人で賑わっている。
神戸市須磨区須磨寺町4-6-8 〒654-0071 神戸市須磨区須磨寺町4-6-8