萩の寺の本堂と重要文化財
萩の寺の本堂と重要文化財
萩の寺の歴史は古い。もとは大阪の北郊豊崎の里(現在の中津)にあり、近郊一帯は当時「浜の墓」と呼ばれ、天平七年(735年)、行基菩薩が我国最初の民衆火葬を執行してお堂を建て、自ら彫造した薬師如来をまつったことにはじまる。豊崎の里は、当時萩が群生しており、仏さまの供花としていたことが知られている。
現在の萩の寺は閑静な住宅地にあり、本堂には草創時の行基菩薩作「薬師如来」と平安末期の「降魔座釈迦如来」(国重文)が安置されている。新西国霊場のご本尊としては、南朝の女官たちが後醍醐天皇の霊を鎮めるために法華経八経を写経し、その紙をこよりに編んで大衣として帝の念持仏にお着せもうしあげたという、通称、「こより十一面観音」がまつられている。
その他、あごなし地蔵堂、毘沙門堂、道了大権現堂などがあるが、なんと言ってもその名の通り、萩が植えられている北大路魯山人命名の「萩露園」が見どころであろう。秀吉の妻・淀殿にも愛された、萩の寺の萩は宮城野萩が主流で、秋ともなると赤、白、ピンクと色とりどり、三千株の見事な萩の花が咲きほこり、訪れる人の目を楽しませてくれる。また、NHK大河ドラマ「どうする家康」で紹介された淀殿ゆかりの「萩の筆」は淀川水系が生んだ民芸品として有名である。
萩の寺の歴史は古い。もとは大阪の北郊豊崎の里(現在の中津)にあり、近郊一帯は当時「浜の墓」と呼ばれ、天平七年(735年)、行基菩薩が我国最初の民衆火葬を執行してお堂を建て、自ら彫造した薬師如来をまつったことにはじまる。豊崎の里は、当時萩が群生しており、仏さまの供花としていたことが知られている。
現在の萩の寺は閑静な住宅地にあり、本堂には草創時の行基菩薩作「薬師如来」と平安末期の「降魔座釈迦如来」(国重文)が安置されている。新西国霊場のご本尊としては、南朝の女官たちが後醍醐天皇の霊を鎮めるために法華経八経を写経し、その紙をこよりに編んで大衣として帝の念持仏にお着せもうしあげたという、通称、「こより十一面観音」がまつられている。
その他、あごなし地蔵堂、毘沙門堂、道了大権現堂などがあるが、なんと言ってもその名の通り、萩が植えられている北大路魯山人命名の「萩露園」が見どころであろう。秀吉の妻・淀殿にも愛された、萩の寺の萩は宮城野萩が主流で、秋ともなると赤、白、ピンクと色とりどり、三千株の見事な萩の花が咲きほこり、訪れる人の目を楽しませてくれる。また、NHK大河ドラマ「どうする家康」で紹介された淀殿ゆかりの「萩の筆」は淀川水系が生んだ民芸品として有名である。
大阪府豊中市南桜塚一丁目12番7号 〒561-0882 大阪府豊中市南桜塚一丁目12番7号