女人高野の歴史、南北朝時代の文献と文化財
女人高野の歴史、
南北朝時代の文献と文化財
金剛寺は、僧行基が聖武天皇の勅命によって開き、のち弘法大師密教修練の霊域となる。そののち、四百年ほどの間に、寺は衰微してしまったが、平安末期、後白河法皇と皇妹八條女院の帰依を受け、阿観僧正が復興し、明治の初めまで女人禁制であった高野山に対し、女人の参拝を許したので、女人高野と呼ばれる様になった。
金剛寺は、楼門をくぐり石段を上がると、右に金堂、左に多宝塔、正面をさらに登ったところに五佛堂があり、新西国霊場本尊 千手観音菩薩像を奉安する。右側に、御影堂および後村上天皇の観月亭がある。どっしりと構えた金堂には、国宝御本尊大日如来、行快作脇侍の国宝不動明王、国宝隆三世明王が祀られている。金堂の右手後方に鐘楼があり、そばの門をぬけると、南朝行在所の摩尼院がある。これらの建物は、いずれも重要文化財に指定されている。
南北朝時代に、南朝・北朝双方の行在所となった金剛寺は、その歴史的な経緯から、質量ともに豊富な古文書を所蔵し、特に南北朝および楠木氏に関する文献等については、他に比類が無い。
金剛寺は、僧行基が聖武天皇の勅命によって開き、のち弘法大師密教修練の霊域となる。そののち、四百年ほどの間に、寺は衰微してしまったが、平安末期、後白河法皇と皇妹八條女院の帰依を受け、阿観僧正が復興し、明治の初めまで女人禁制であった高野山に対し、女人の参拝を許したので、女人高野と呼ばれる様になった。
金剛寺は、楼門をくぐり石段を上がると、右に金堂、左に多宝塔、正面をさらに登ったところに五佛堂があり、新西国霊場本尊 千手観音菩薩像を奉安する。右側に、御影堂および後村上天皇の観月亭がある。どっしりと構えた金堂には、国宝御本尊大日如来、行快作脇侍の国宝不動明王、国宝隆三世明王が祀られている。金堂の右手後方に鐘楼があり、そばの門をぬけると、南朝行在所の摩尼院がある。これらの建物は、いずれも重要文化財に指定されている。
南北朝時代に、南朝・北朝双方の行在所となった金剛寺は、その歴史的な経緯から、質量ともに豊富な古文書を所蔵し、特に南北朝および楠木氏に関する文献等については、他に比類が無い。
大阪府河内長野市天野町996 〒586-0086 大阪府河内長野市天野町996