聖武天皇勅願、観音出現の霊験、
千本搗の伝統と秘仏の謎
聖武天皇勅願、観音出現の霊験、
千本搗の伝統と秘仏の謎
“水間参り”、”厄除の観音さま”で知られる水間寺は、聖武天皇勅願、僧行基によって創建された。その由来は、第四十五代聖武天皇が病床にあられた夜、夢のお告げで霊験あらたかな観音出現を感得され、僧行基が勅命を拝し、現在の水間寺の地を訪れ、本堂裏の滝において、一寸八分の観音の尊像を授けられた。これが秘仏(現在まで開帳なし)のご本尊である。
また水間寺では、”千本搗(つき)”という珍事が開山の千二百有余年前より現在まで中断されることなく行われている。この千本搗は、長い棒(キネ)を持った人々が臼を囲んで餅をつくという行事で、その由来は、僧行基が観音出現の地を求めて、この水間寺の地に来たところ、十六人の童子(観音の化身)が現われ、滝に誘われ、観音像を授けられてより、伽藍完成まで起居をともにし、聖武天皇、光明天皇が落慶供養の際、行幸啓された折、木を切って棒を作り、それで歌に合わせて餅をつき、本尊に供えたことが始まりと言われている。
“水間参り”、”厄除の観音さま”で知られる水間寺は、聖武天皇勅願、僧行基によって創建された。その由来は、第四十五代聖武天皇が病床にあられた夜、夢のお告げで霊験あらたかな観音出現を感得され、僧行基が勅命を拝し、現在の水間寺の地を訪れ、本堂裏の滝において、一寸八分の観音の尊像を授けられた。これが秘仏(現在まで開帳なし)のご本尊である。
また水間寺では、”千本搗(つき)”という珍事が開山の千二百有余年前より現在まで中断されることなく行われている。この千本搗は、長い棒(キネ)を持った人々が臼を囲んで餅をつくという行事で、その由来は、僧行基が観音出現の地を求めて、この水間寺の地に来たところ、十六人の童子(観音の化身)が現われ、滝に誘われ、観音像を授けられてより、伽藍完成まで起居をともにし、聖武天皇、光明天皇が落慶供養の際、行幸啓された折、木を切って棒を作り、それで歌に合わせて餅をつき、本尊に供えたことが始まりと言われている。
大阪府貝塚市水間638 〒597-0104 大阪府貝塚市水間638