四天王寺の開基は、聖徳太子である。
四天王寺の開基は、
聖徳太子である。
聖徳太子は御年十六歳の時、蘇我馬子と力を合わせて、物部守屋を討とうとしたが、戦いは不利であったため、太子は四天王の木像を造り、護世四天王のためにお寺を建てると誓いをたてたところ、戦いに勝つことができた。
そののち、誓いの通りに、太子が伽藍を造り、四天王の像をまつったのが、四天王寺であると言われている。
聖徳太子は御年十六歳の時、蘇我馬子と力を合わせて、物部守屋を討とうとしたが、戦いは不利であったため、太子は四天王の木像を造り、護世四天王のためにお寺を建てると誓いをたてたところ、戦いに勝つことができた。そののち、誓いの通りに、太子が伽藍を造り、四天王の像をまつったのが、四天王寺であると言われている。
歴史の中で輝く四天王寺の至宝と奇跡
歴史の中で輝く
四天王寺の至宝と奇跡
大阪の中心地に33,000坪の境内を持つ四天王寺は、戦火や災害の被害が多く、その広い境内には数多くの堂塔伽藍があったが、その大半は昭和20年の空襲によって焼失した。それでも、六時堂、五智光院、元三大師堂、湯屋方丈などは幸い災をまぬがれ、元和年間(1617年)再建のままの姿を今に伝えており、いずれも重要文化財に指定されている。また戦後、いわゆる「四天王寺様式」の伽藍配置で再建がすすめられた。
ご本尊の救世観世音菩薩は、金堂正面に安置され、三方の壁には中村岳陵画伯によって釈迦伝が描かれている。国宝、重文、二百数十点を蔵する宝物館とともに拝観することをおすすめしたい。
大阪の中心地に33,000坪の境内を持つ四天王寺は、戦火や災害の被害が多く、その広い境内には数多くの堂塔伽藍があったが、その大半は昭和20年の空襲によって焼失した。それでも、六時堂、五智光院、元三大師堂、湯屋方丈などは幸い災をまぬがれ、元和年間(1617年)再建のままの姿を今に伝えており、いずれも重要文化財に指定されている。また戦後、いわゆる「四天王寺様式」の伽藍配置で再建がすすめられた。
ご本尊の救世観世音菩薩は、金堂正面に安置され、三方の壁には中村岳陵画伯によって釈迦伝が描かれている。国宝、重文、二百数十点を蔵する宝物館とともに拝観することをおすすめしたい。
大阪市天王寺区四天王寺1-11-18 〒543-0051 大阪市天王寺区四天王寺1-11-18
亀井にうかぶ み仏の影
ありがたや 法のはじめの 天王寺
亀井にうかぶ 不動明王
かしこな 法のはじめの 名をとりて
ありがたや 法のはじめの 天王寺 亀井にうかぶ 不動明王
かしこな 法のはじめの 名をとりて なにわの寺は すえの世までも
父の里 立ち出で来たる 母の里 また立ちかえる 父の故郷
あみだぶと こころは西に うつせみの もぬけはてたる 声ぞ涼しき