歴史の息吹 浄土寺の興亡と再生
歴史の息吹
浄土寺の興亡と再生
浄土寺の前身は、現在の浄土寺の西側約2kmの場所にあった広渡寺で、聖武天皇の頃、行基菩薩によって創建されたと伝えられている。その後、広渡寺は兵火にかかり荒廃していたが、重源上人が建久5年(1194年)に現在の場所に復興し、浄土寺と呼ぶようになったという。
中興開山の重源上人が建てた浄土堂(阿弥陀堂)のがっちりとした、しかも美しい構えは何といっても人々をして感銘させるに十分である。わが国における古い天竺様の建物としては、奈良東大寺の南大門とともに全国にただ二つしかなく、天竺様建物は、構造力学的に原理を追求し、実用の中に建築の美を求める合理性を尊重したものといわれている。中には、御本尊の木造阿弥陀如来、観音、勢至の両菩薩の立像が円形の台座に安置してある。
浄土寺の浄土堂の向かい側にあるのが本堂(薬師堂)で薬師如来をまつっている。本堂は、浄土堂と同様、重源上人が建てられたが、その後焼失し永正十四年(1517年)に再建されたものである。
浄土寺の前身は、現在の浄土寺の西側約2kmの場所にあった広渡寺で、聖武天皇の頃、行基菩薩によって創建されたと伝えられている。その後、広渡寺は兵火にかかり荒廃していたが、重源上人が建久5年(1194年)に現在の場所に復興し、浄土寺と呼ぶようになったという。
中興開山の重源上人が建てた浄土堂(阿弥陀堂)のがっちりとした、しかも美しい構えは何といっても人々をして感銘させるに十分である。わが国における古い天竺様の建物としては、奈良東大寺の南大門とともに全国にただ二つしかなく、天竺様建物は、構造力学的に原理を追求し、実用の中に建築の美を求める合理性を尊重したものといわれている。中には、御本尊の木造阿弥陀如来、観音、勢至の両菩薩の立像が円形の台座に安置してある。
浄土寺の浄土堂の向かい側にあるのが本堂(薬師堂)で薬師如来をまつっている。本堂は、浄土堂と同様、重源上人が建てられたが、その後焼失し永正十四年(1517年)に再建されたものである。
兵庫県小野市浄谷町2094 〒675-1317 兵庫県小野市浄谷町2094