平和と繁栄の祈り。能福寺の歴史と大仏の輝き
平和と繁栄の祈り。
能福寺の歴史と大仏の輝き
伝教大師最澄が三十六歳の時、中国の唐への留学から帰国した際この地で大きな歓迎を受け、庶民が建てた堂宇に自作の薬師如来像を安置し、国の安泰と民の幸福を祈願して能福護国密寺と名づけ、庶民に最初の教化を行ったというのが、この能福寺の始まりである。
能福寺は、平清盛が福原に遷都した際、平家一門の帰依を受け、七堂伽藍が整い隆盛を極めた。さらに平清盛は、仁安三年(1168年)能福寺にて剃髪入道し、六十四歳で死去した後も遺言により遺骨を能福寺に埋葬したと言われている。
能福寺は現在、一般に”兵庫大仏”として知られており、この大仏は元々、明治二十四年に地元の豪商によって寄進された身丈十一メートルの大仏で、日本三大仏の一つと言われている。能福寺の大仏は一度、太平洋戦争末期の金属回収のため供出されたため、現在のものは平成三年に再建されたものである。大仏開眼の日を記念して現在、五月九日には「兵庫大仏まつり」が盛大に行われている。
伝教大師最澄が三十六歳の時、中国の唐への留学から帰国した際この地で大きな歓迎を受け、庶民が建てた堂宇に自作の薬師如来像を安置し、国の安泰と民の幸福を祈願して能福護国密寺と名づけ、庶民に最初の教化を行ったというのが、この能福寺の始まりである。
能福寺は、平清盛が福原に遷都した際、平家一門の帰依を受け、七堂伽藍が整い隆盛を極めた。さらに平清盛は、仁安三年(1168年)能福寺にて剃髪入道し、六十四歳で死去した後も遺言により遺骨を能福寺に埋葬したと言われている。
能福寺は現在、一般に”兵庫大仏”として知られており、この大仏は元々、明治二十四年に地元の豪商によって寄進された身丈十一メートルの大仏で、日本三大仏の一つと言われている。能福寺の大仏は一度、太平洋戦争末期の金属回収のため供出されたため、現在のものは平成三年に再建されたものである。大仏開眼の日を記念して現在、五月九日には「兵庫大仏まつり」が盛大に行われている。
神戸市兵庫区北逆瀬川町1-39 〒652-0837 神戸市兵庫区北逆瀬川町1-39