天智天皇の勅願により建立された誓願寺の歴史
天智天皇の勅願により
建立された誓願寺の歴史
京都市の繁華街新京極の真中にある誓願寺は、今から千三百余年前、天智天皇の勅願によって大和の都に建てられたが、その後、京都の一条小川に移され、さらに豊臣秀吉の命により天正十九年(1591年)に現在の地に移転した。当時は六千坪を越える境内に七堂伽藍がそびえ、塔頭寺院十八ヶ寺を数える壮大なものであった。
誓願寺本堂には、京洛六阿弥陀の随一といわれる阿弥陀如来と新西国霊場の霊仏で、一言で願いを叶えて下さることから「ひとこと観音」として古来からあつく信仰されている十一面観世音菩薩がおまつりされている。
この誓願寺は、清少納言が、誓願寺で髪を剃って比丘尼(びくに)となり仏道に入られたことや、和泉式部が娘の小式部に先立たれ、誓願寺に参籠して娘の菩提を弔い念仏三昧の生活に入り、ついに髪を落としここで一生を終えた言われなど、昔から女人往生の寺として知られている。特に和泉式部と誓願寺の関係は世阿弥作と伝えられる謡曲「誓願寺」にあるとおり深く、同謡曲の中で瑞雲に立たれた阿弥陀如来と二十五菩薩と共に歌舞の菩薩となった和泉式部が現れることなどから、芸道上達の寺としても信仰されている。
京都市の繁華街新京極の真中にある誓願寺は、今から千三百余年前、天智天皇の勅願によって大和の都に建てられたが、その後、京都の一条小川に移され、さらに豊臣秀吉の命により天正十九年(1591年)に現在の地に移転した。当時は六千坪を越える境内に七堂伽藍がそびえ、塔頭寺院十八ヶ寺を数える壮大なものであった。
誓願寺本堂には、京洛六阿弥陀の随一といわれる阿弥陀如来と新西国霊場の霊仏で、一言で願いを叶えて下さることから「ひとこと観音」として古来からあつく信仰されている十一面観世音菩薩がおまつりされている。
この誓願寺は、清少納言が、誓願寺で髪を剃って比丘尼(びくに)となり仏道に入られたことや、和泉式部が娘の小式部に先立たれ、誓願寺に参籠して娘の菩提を弔い念仏三昧の生活に入り、ついに髪を落としここで一生を終えた言われなど、昔から女人往生の寺として知られている。特に和泉式部と誓願寺の関係は世阿弥作と伝えられる謡曲「誓願寺」にあるとおり深く、同謡曲の中で瑞雲に立たれた阿弥陀如来と二十五菩薩と共に歌舞の菩薩となった和泉式部が現れることなどから、芸道上達の寺としても信仰されている。
京都市中京区新京極通三条下ル桜之町453 〒604-8035 京都市中京区新京極通三条下ル桜之町453