国宝金堂と美しい庭園が特徴の修禅寺院
国宝金堂と美しい庭園が特徴の修禅寺院
真言宗修行の拠点であり、南朝の悲史を偲ぶ観心寺は、峯高く、谷深く、石見川の清流を前にしたこの霊地に、千三百年前、役小角によって開かれ、雲心寺といった。その後弘仁六年(815年)弘法大師が来山された際、国家安康と衆生除厄の祈願のため七星如意輪観音像を作って本尊とし、寺号を観心寺とされた。真言二祖道興大師実恵の本拠地で、爾来真紹、宗叡と相次ぎ、修禅の道場として、また真言行者の高野山と京都の中宿として栄えた寺である。
観心寺の金堂は、和様、禅宗様、大仏様の折衷様式、いわゆる観心寺様として有名で、国宝に指定されている。また、金堂への参道は広く、石段を少し上ると平らになり、また少し石段があるという独特のもので、参道の両側の梅、桜、楓、金堂裏山の杉、桧など見事である。
観心寺は、南北朝時代、南朝に忠勤を尽くした楠木氏の菩提寺であり、楠木正成が瀧覚坊について学問をおさめた中院がある。門前には楠公の銅像も再建されており、伽藍中央の広場には、楠公ゆかりの「建掛の塔」、境内奥に楠公首塚、後村上天皇陵がある。
真言宗修行の拠点であり、南朝の悲史を偲ぶ観心寺は、峯高く、谷深く、石見川の清流を前にしたこの霊地に、千三百年前、役小角によって開かれ、雲心寺といった。その後弘仁六年(815年)弘法大師が来山された際、国家安康と衆生除厄の祈願のため七星如意輪観音像を作って本尊とし、寺号を観心寺とされた。真言二祖道興大師実恵の本拠地で、爾来真紹、宗叡と相次ぎ、修禅の道場として、また真言行者の高野山と京都の中宿として栄えた寺である。
観心寺の金堂は、和様、禅宗様、大仏様の折衷様式、いわゆる観心寺様として有名で、国宝に指定されている。また、金堂への参道は広く、石段を少し上ると平らになり、また少し石段があるという独特のもので、参道の両側の梅、桜、楓、金堂裏山の杉、桧など見事である。
観心寺は、南北朝時代、南朝に忠勤を尽くした楠木氏の菩提寺であり、楠木正成が瀧覚坊について学問をおさめた中院がある。門前には楠公の銅像も再建されており、伽藍中央の広場には、楠公ゆかりの「建掛の塔」、境内奥に楠公首塚、後村上天皇陵がある。
大阪府河内長野市寺元475 〒586-0053 大阪府河内長野市寺元475