通名「千本釈迦堂」で親しまれる大報恩寺の由来
通名「千本釈迦堂」で
親しまれる大報恩寺の由来
大報恩寺という名称であるが、一般的には「千本釈迦堂」という通名で親しまれている。江戸時代には遺教経寺と呼ばれたこともあるが、千本釈迦堂の名称は七百数十年前、当寺第二世如輪上人がはじめられたもので意外に古く、兼好法師の徒然草にも千本釈迦堂として、この寺のことが記されている。
大報恩寺(千本釈迦堂)は、用明天皇が勅願の道場として開創されたと伝えられるが、その後廃滅に帰していたのを、求法上人義空によって再建されたものである。宸殿造りの本堂は、応仁の乱をはじめ幾多の戦役にも難を免れた旧京都市内で最古の国宝建造物である。
大報恩寺(千本釈迦堂)の本尊である釈迦如来像は、鎌倉初期の名工快慶の弟子、行快の作であり、六観音は、貞応三年(1224年)定慶の作、釈迦十大弟子尊像は快慶晩年の作で、いずれも重要文化財に指定されている。いずれも実に優美なもので、このように欠けることなく保存されているのは、全く珍しいことであり、貴重なものといえる。
大報恩寺という名称であるが、一般的には「千本釈迦堂」という通名で親しまれている。江戸時代には遺教経寺と呼ばれたこともあるが、千本釈迦堂の名称は七百数十年前、当寺第二世如輪上人がはじめられたもので意外に古く、兼好法師の徒然草にも千本釈迦堂として、この寺のことが記されている。
大報恩寺(千本釈迦堂)は、用明天皇が勅願の道場として開創されたと伝えられるが、その後廃滅に帰していたのを、求法上人義空によって再建されたものである。宸殿造りの本堂は、応仁の乱をはじめ幾多の戦役にも難を免れた旧京都市内で最古の国宝建造物である。
大報恩寺(千本釈迦堂)の本尊である釈迦如来像は、鎌倉初期の名工快慶の弟子、行快の作であり、六観音は、貞応三年(1224年)定慶の作、釈迦十大弟子尊像は快慶晩年の作で、いずれも重要文化財に指定されている。いずれも実に優美なもので、このように欠けることなく保存されているのは、全く珍しいことであり、貴重なものといえる。
京都市上京区五辻通六軒町西入溝前町1034 〒602-8319 京都市上京区五辻通六軒町西入溝前町1034